Baskets Journal
Exhibition
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企画展をご案内申し上げます。
ご来場を心よりお待ちしております。
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Exhibition:
kankakari展
Exhibition period:
2023年3月18日(土)− 22日(水)
Place:
ANCHORET(広島県広島市中区土橋町2-43)
Exhibition
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籠展をご案内申し上げます。
ご来場を心よりお待ちしております。
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Exhibition period:
2022年11月1日(火)− 27日(日)
Place:
くるみの木 暮らしの参考室(三重県多気郡多気町ヴィソン672番1 サンセバスチャン通り10)
Exhibition
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籠展をご案内申し上げます。
ご来場を心よりお待ちしております。
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Exhibition period:
2022年8月20日(土)− 29日(月)
Place:
ギャラリー 京都寺町 菜の花(京都府京都市中京区下御霊前町633)
Exhibition
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籠展をご案内申し上げます。
ご来場を心よりお待ちしております。
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Exhibition period:
2022年4月16日(土) − 26日(火)
Place:
archipelago(兵庫県丹波篠山市古市193-1)
Exhibition
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草花と籠の展示「と、籠」をご案内申し上げます。
ご来場を心よりお待ちしております。
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以下、案内葉書より
草木が人の手により籠のになり、また、その中に花をいける。手を介して生まれる景色の連なりに、人が昔歳より自然の中で生かされて来た歩みを憶えます。今回は、日本全国から集められた手仕事の花籠がみたてに並びます。今展のために特別に誂えていただいた籠もご用意いたしました。暦の上では初秋となる葉月から三ヶ月の展示となります。美しい籠に彩られる移ろいゆく季節の草花をゆっくりと感じていただければ幸いです。
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Exhibition period:
2021年8月18日(水) − 11月下旬
Place:
みたて(京都府京都市北区紫竹下竹殿町41)
8月18日(水)午前8時より、今展の案内映像を公開いたします。
Exhibition
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籠展をご案内申し上げます。
ご来場を心よりお待ちしております。
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Exhibition period:
2021年6月11日(金) − 6月21日(月)
Place:
cite’(広島県広島市中区幟町9-1 1F / 082-576-2255)
「籠と旅」宮城編
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先日、宮城の名工から連絡があった。
どうしたのかと思い聞くと、すず竹の竹林一帯が枯れたのだと言う。
宮城の「げし笊」は、日本の籠でも特殊なものであり、すず竹、山桜の樹皮、藤の繊維、杉の枝、真竹と、多種の材料を使用する。いづれも欠けると「げし笊」にはならない。
竹類は、120年か60年に一度、花を咲かせ、実を付けると、竹は枯れる。それも辺り一帯が枯れ果てる。げし笊に使用する篠竹の場合、生えて1年のものは使用せず、3年目のものがちょうど良い。しかし、一度枯れた竹林から、また籠に使うための健康な竹を採取するには、5年から10年は待たなければならない。これは一大事である。
連絡を受けてから間も無く、宮城へと向かった。
名工の自宅に着くと、以前にもお会いしたお弟子と、いつものお茶飲み小屋で話をしていた。いつも通う山の竹が枯れてから、他の地域も方々探し回っていると言う。改めて状況を聞くなり、いつも行く山の状況を見たいとお願いした。この日はちょうど、持ち手に使用する杉の枝を採取しに行くというので、それも同行させてもらうことにした。到着早々だが、5分と経たないうちに、3人で山に向った。
確かに辺り一帯のすず竹は全て枯れ果てていた。竹林が枯れた風景を見たのは初めてかもしれない。なんとも寂しいような、表現しがたい風景である。
これを名工がはじめに見たときのお氣持ちは察しきれない。さぞ心痛めたであろう、様々な思いが頭を過ぎったであろう。
げし笊を一つ拵えるのに使用するすず竹は、本数にして約50本。切り出した竹は、できるだけ早くにへぎ=ひごにして、籠を拵える。生のの竹を使うため、それほど切り貯めてはおけないので、その都度竹を切り出しに行く。通年であれば、一度に500本ほどは切り出していた。
この竹林が再生して、竹が材料として使えるまでには、早くて3年先のこと、短いようで長い3年を待つ。今は、名工とお弟子が方々で探し回っている成果を願うばかりである。
じつは、問題はこれだけに終わらない。むしろより大きな問題である。
山桜の樹皮が、雨続きの影響もあり、今年は充分に採れなかったのだと言う。山桜は、採取時期が非常に限られているので、今年採れなければ、また来年となる。そして、この材料は、他の地域でも年々採れなくなっていると聞いている。こちらの方が今後の大きな問題になるかもしれない。
材料は現地で採るのが最も良いが、自然環境も変わり、じきにそうも言っていられないことになるだろうか。樺細工の危機、そのようなことが頭を過ぎった。何か大きな変化が、この地球に確実に起こっているのだとも感じる。
竹林の確認後、杉の枝を採りに。この材料も厳選して探していることがよくわかった。杉の枝も本来であれば、一度に100本ほど採るようであるが、近くに見せたい寺があるから案内してくれると言うので、採取は30本ほどに留め、寺の見学をすることにした。このような時間を共にできるのも嬉しい限りである。帰る途中の食堂で、昼食をご一緒した。名工とは、何度か食事をしているが、麺類を好むようで、麺を啜る姿が絵になる。写真に収めさせてもらったが、それは大切にとっておくとしよう。以前には、カラオケを歌っているところも映像に収めさせてもらっている。声も素晴らしい。何をしても絵になる方である。
自宅に戻ると、買い物に出ていたおかあさんが、いつも通り作業をしていた。おとうさんが材料を調達、準備して、おかあさんが織り上げる。それを、おとうさんが組み上げて手を付ける。二人三脚の仕事である。このような状況でも、今できることを精一杯に、そして、皆さんのご様子はいつも通り明るく、それが何よりでもあった。
何とかなる、そのように心から思った。
帰り際、箕を手土産にいただいた。ついでに、もう一つ籠もというので、それは納品書を切ってほしいと言ったが、「遠くまでわざわざ来てくれたんだ。俺は、納品書を切らないよ。」この人柄にも惚れている次第である。
そういえば、お茶飲み小屋での団欒中、おとうさんの被っている帽子を、おかあさんが「きたないから、なげろ(捨てろ)。」といつも言うのだそうだ。今度は、帽子をこちらからの手土産に持って行くとしよう。
この「げし笊」、県外では肥料籠とか肥料振り籠と商品名が付けられているが、これは地域での呼び名ではなく、この地域では「げし笊」と言われていたようである。「げし」=下手物の意であろう。農具として使われていた消耗品のような道具であるから、このような名前が付けられたことは理解できる。私は、むしろ、この名前に愛着をもっているので、これからもこの笊を「げし笊」と呼び続ける。材料についても篠竹と言われていることが多いが、すず竹である。その違いは、生えている竹を見ると明らかであり、丈夫さも異なる。そして、実はこの笊、民芸品として作られている今のものは、一部昔のものと材料が異なる。その部分を昔の通りに再現したものを、今、名工にお願いしている。
*2017年の記事を加筆
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その後、各地の職人を訪ねる度に竹林が枯れていると聞き続けた。私の知る限りだが、2017年前後、信州から東北にかけて、竹林が連鎖するように枯れていったようだ。今思うと「地球と人類の再生」、そのはじまりを自然が伝えてくれていたようにも感じる。
記事を書いた2017年以降も、名工は材料調達のために方々を駆け回り、そして、籠を定期的に届けてくださっていた。先日もげし笊を20点ほど届けてくださった。次回は夏以降であろう。数は少なくなってはいるが、名工が元氣に籠を拵えてくださっていることが何より嬉しく、籠が売れる売れないはどうでも良いので、私はこれからもげし笊を注文し続けていく。売れる売れないとは書いたが、このように素晴らしい籠が売れない訳がない。
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そうそう前述に、今のものは昔のものと材料が一部異なると書いたところだが、籠を組み立てる時に使われる紐である。今は麻紐が使われているが、昔は藤縄が使われていたのだ。私はそれを知るなり、手綯いの藤縄で再現してほしいと名工にお願いした。その昔の「げし笊」は、今我が家に保管している。納品時に籠に貼られていたメモがなんともキュートだったので、それごと。
「籠と旅」南房総編
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房総半島、この地には多いときで年に5度ほどは通った。
この地には、お二人の職人との繋がりがある。
籠職人がいるという話だけを頼りに、はじめてこの地を訪れた日、方々探し回ったが職人を見つけることができず苦労したものだ。偶然通りかかった竹屋のご主人が親切な方で、二人の職人を教えていただくことができた。毎回ではあるが、何の手がかりもなく探し回っている。以前は、沖縄本島を集落から集落へと聞き込みしたものだった。
女竹で「背負子」を拵える職人は、88歳(2017年現在)にして現役である。
今まで医者にかかったことはないと言う職人、夏に袖のない肌着1枚で仕事をしていたのを見かけたことがあるが、その体付きは屈強という言葉が適当である。隆々とした腕に、ぴんと伸びた背筋、籠作り以外に何かやっていたのかを聞いてみたこともあるが、そんなことはない、籠作り一筋である。
昔は様々な籠を作りもしたようだが、程なく背負子一本を生業とした。この地で職人の籠を購入できるのは日用品店、生活道具の中にこの背負子がずらりと並んでいる景色にしっくりくる。民藝店では花籠等と呼ばれることもあるようだが、この地では農作物の収穫籠として使われるのが大半である。背負子は本来飾り付ける工藝品の類ではなく、道具であることを実感する。籠が生活の道具として売られ使われる本来の姿であろう。
この背負子はとても力強く、作りは至って簡素で、縁は一周ぐるりを竹で巻くことはなく、最小限のひごで止められていて、それがまた見栄え良い。必要最低限の工夫で作られる道具の美しさをこの籠にみる。職人は、1年で作る籠の分をはじめからひごにして、仕事場の天井に吊るしている。職人の殆どはその日に作る籠の分だけをひごにする、この点が職人の仕事の特徴でもある。
無口な職人、はじめて訪ねた頃は話もそこそこにその仕事をじっと見ていたものだ。何度か訪ねるうちに顔を覚えてもらい、休憩がてらお茶とお菓子を一緒にいただきながら話ができるようにもなった。逞しい職人の表情が一変する時折見せる笑顔がなんとも愛くるしいのだ。いつも帰り際には、「あと2年やれたらいいかな。」と笑いながら話す。昔は1日に3個も4個も籠を拵えたというが、歳と共に作る数は少なくなっている。
少なくてもいい、どうかお元気で、籠作りを続けていただきたいと思う。
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全国の繋がりのある職人の中では、若手の60台の職人、風貌は一見ワイルドだが、実に美しい目が印象的な方である。
昔は、東京で板前をしていたこともあり、朝は日が昇る前から仕事をはじめ、昼頃には終わっていることもあるので、仕事ぶりを見れないことも多々あったものだ。
主につくる籠は「ふご」と現地で呼ばれている笊。ふごは「はばのり」を収穫するために使う道具であり、お婆ちゃんはこの道具を杖代わりにして岩場を移動していく。そのため底には力骨がしっかりと入り、縁にはひごが何重にも巻かれ、胴体が早々では壊れないようになっている。丸い形が愛らしくも力強い。私はこのふごを大層気に入っている。以前は、人一人が入れるくらいの大きなものをつくっていただいたこともある。引き取りに行くや「入ってみろ」と言われ、中に入ると、すぐにころんと転げた。
職人の家の前には、昼時になると猫が数匹集まってくる。毎日欠かさずご飯を与えていると言う。それも残りものではなく、わざわざ買い出しに行き、質の良い干物を焼いて出す。玄関口で寝そべる猫は安心した様子である。
いつものように籠を引き取りに行った時に、帰り際にこんな話を聞いた。
今から30年程前、空からひとつの風船が家の裏に降り着いた。拾ってみると、風船に手紙がついていた。それを読んでみると、どうやら日本海の方から風に乗ってたどり着いたようだ。住所の主にちゃんと返事を送った。以来この文通は続き、毎年欠かさず花も贈っている。ついには、遥々ここまで会いに来てくれた。
この職人、困っていることがあっても、籠の注文がちょうど入ってきては、その心配事は消えていくと言う。職人にはそれが何故だか分からないようだが、その心が、ちゃんとまわりまわって職人に還ってきているのだと私は思う。
今回お二人にお願いした籠は大物が多く、個数もあったため車で2杯分となった。
どちらも配送をしてもらえないので引き取りに行き、それを梱包してから宅配便で送ることにしている。私の住む関西方面からこの地は遠く、電車とバスを乗り継ぎ8時間ほどはかかる。宿と車も手配する必要がある。もっとも手間と費用の掛かる籠かもしれない。賢い商人であれば、このようなことを続けはしないであろうが、その価値は夫々である。
私の場合、籠の売り買いだけが目的ではないとつくづく思う。
*2017年の記事を加筆