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籠と旅
房総半島 1

真竹 特大ふご

 

 

「ふご」と呼ばれる真竹の笊。南房総に伝わる海の道具は、はば海苔を収穫するための笊であり、岩場をつたう杖でもある。ふごに魅せられ、年に5度、この地を通うときもある。これはふごを特別大きくしてもらった中の一つ。力強くいて優しさを帯びる姿に職人の心を重ねる。なぜこの籠が美しいのか、私には明快である。

 

(以下は以前記事にしたものを一部編集、加筆したものです。)

 

 

2017年4月

この地へは何度足を運んだことだろう。

 

宿はいつも海沿い、夕日が水平線に沈むのを眺められる。車を走らせる道中には、鮮やかな黄色と緑の菜の花畑が広がる。この風景を見ると、またこの地に帰って来たと懐かしく思う。

 

注文をお願いしていた籠を引き取りに、久しぶりに南房総を訪ねた。

 

名工は、真竹で「ふご」という笊を拵える。

丸い形が柔らかな印象だが、何重にもひごを巻いている縁の分厚さがなんとも印象的である。これは、節でひごが一本割れても籠が早々に壊れないようにしているため、そして、しっかりと縁を握って持つことができるためである。高齢の女性は、この笊を杖代わりにして岩場を移動する。笊の底には太い力骨が渡され、簡単には壊れないように丈夫に作られている。各地のものとも比べ難い、何とも不思議な魅力を感じる道具である。ふごは、はば(はば海苔)を収穫する際に使われる海の道具、職人も昔は潮が引いた夜にはばを採りに行ったと言うが、今ではこの地域のはばの解禁日は年に一日と決められている。

 

このふごに惹かれて、何度もこの職人を通ったものだ。今ではこちらの趣味を良く知る関係とまでなった。今回注文しておいた籠を前に「これなら気にいるだろ?」、出来栄えや使用した竹等について話してくれる。

 

さてこの職人、朝は極めて早い。午前3時半には起床し、夜が明ける前から仕事をはじめる。夕方前に訪ねると何をする気配もないことがしばしば続いたので、聞いてみるとそんな時間には仕事は終わっていることが多いと言う。以前は東京で板前として働いていたので、籠職人となったあとも、その習慣から早い時間から働いているのであろう。

 

5mm単位から注文を聞く柔軟な職人を頼ってくる依頼は多い。作ったことのない形の籠も暇があれば作ってみる。電話をしては、顔をあわせれば、今どんなものを作っていると教えてくれる。「注文が多くて休んでる暇なんかねえよ。」と話す口ぶりも、何処か嬉しそうに聞こえる。職人との会話の殆どは籠のこと、父から受け継いだその仕事、心から籠作りを愛しているように感じる。話が長くなることは度々、いや毎度のこと、今は一人で暮らすので、話し相手がいてくれると嬉しいと言ってくれたことがあるが、こちらの方こそ嬉しく有難いことである。職人を訪ねる際はできる限り長く滞在できるようにいつも時間をとるようにするが、それでもあっと言う間に時は過ぎ次へ向かう時間となるが、家の外に出ても話は尽きない。

 

職人の家の前には、昼時になると猫が数匹やってくる。毎日欠かさずご飯を与えている。それもわざわざ買い出しに行き、職人が調理したものを与えているのだと言う。玄関口で寝そべる猫は、いつも安心した様子だ。頼られているのは籠の依頼だけではないようだ。

 

2018年1月

最近、職人からこんな話を聞いた。

  

30年ほど前、空からひとつの風船が家の裏に降りた。

拾ってみると、一通の手紙がついていた。

手紙の住所を見ると、風船は遥々日本海の方から風に乗ってきたようだ。

送り主に手紙を返してみたところ、それからずっと文通は続いた。

年に一度、欠かさず花も贈っている。

ついには、遥々会いに来てくれた。

その関係は今も続いている。

 

この職人には何故だか分からないようだが、困っていることがあると、籠の注文がどこからか入ってきては助けられているそうだ。猫の拠り所となり、手紙を返し、花を贈る。その美しい心は、まわりまわって、職人のもとにも贈られているようである。

 

職人にはじめて会った日から、何かしっくりしていた。風貌は一見ワイルドだが、まっすぐにこちらを見る大きく綺麗な目も心に残っていた。その理由が話を聞いて分かってきたように思う。

 

私にとっての美しい籠とは、細工の細やかさだけでは測れない、作り手の心が映る美しさ、見えない何かなのだろう。

 

2018年5月23日 | かご籠