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籠と旅 <九州 1>

2015年12月、家族、友人と共に、九州を南から北へと横断し、籠職人を訪ねる旅をした。

 

未だ残るその記憶を書き留めておきたく、この日記を綴ることにした。

 

 

 

この写真は、2016年10月のものだ。

鹿児島の籠職人が作り暮らす小屋。

訪れたのは3度目、これが最後の訪問となった。

  

 

2015年12月、とある企画が急浮上し、全国の籠、暮らしの道具としての籠を集めることになった。この機に九州で会ってみたかった籠職人全員を訪ねることにした。南から北へ九州横断、籠の旅のはじまり。

 

はじめに訪れたのは、鹿児島。

その職人は、電話も手紙も届かない。その場所にいるのかも分からない、行ってみるしかない。この旅でどうしても会いたい職人のひとりだった為、祈る気持ちで車を走らせた。

 

案外とその場所には時間がかからなかった。車を停めて、玄関まで緊張の中、早足で歩を進めた。少し距離のある場所から、小屋の中からの大きなラジオの音が聞こえた。その瞬間、少し安堵した。その職人は小屋にいるであろう。しかし、急な訪問、門前払いであろうことも覚悟しながら、玄関の戸を開いてみた。

 

声を何度か掛けたが、誰も出ては来ないので、ラジオの音のする部屋の戸もゆっくり開けてみた。少し驚いたような表情で、家の主がこちらに出てきた。門前払いの心配は何処に、それは優しい声の持ち主、なんとも柔らかな人であった。

 

真竹籠の名工、尾崎利一さんにお会いすることができた。

 

自宅兼仕事場とする小屋には一人で暮らしている。もしかすると人と話すことがあまりないのか、はじめは浮かない表情だったが次第に柔らかな笑顔をみせた。  崖を挟んで隣のゴルフ場から時折ボールが飛んできて、屋根に穴を開けるのだという。「ボールが飛んできて、屋根をダメにしてしまうの。」家の主人からすればたいへんな事だが、優しい声のその話に何故か笑みが出てしまった。

  

籠作りは、小屋の裏側にある小さな土地で行っている。崖を背にしたその場所は、何か神聖な場に思えた。

 

このときすでに甲状腺の癌を患っており、抗癌剤を投薬しながら暮らしていた。薬の影響で手が痺れて思うように籠が作れなくなり、それだけが悔しいと話した。 籠作りへの純粋な心、籠作りへの愛情をみた瞬間でもあった。手は不自由だが、まだ籠は現役で作れるのだという。それを聞いて早速幾つか籠をお願いしてみたところ、快く引き受けてくださった。荷物を発送する事は出来ないので、翌年の春にもう一度来る旨を伝えた。商売を考えれば高額な旅費を2度使って来るような事はしないだろう。それでも良かった。この素晴らしい人の仕事を見たい、そしてこれを機に関係を築きたかった。

 

旅に同行した当日5歳の息子は、尾崎さんは一番好きな籠職人と後に話した。

 

さて翌年の春、約束の頃になったので再び鹿児島に向かった。今回はスケジュールに余裕がなく、尾崎さんに会うだけとした。

 

道中少し不安もあった。名の知れた名工、不便な場所であっても引き合いは多いだろうから、注文はまだ出来ていないと言われることも覚悟した。それ以上に元気にされているかの心配があった。勿論、事前に確認する電話は出来ない。

 

無事に尾崎さんの暮らす小屋に着いた。車から玄関まで、前回と同じような緊張感があったが、直ぐに同じようにあのラジオの音が聞こえた。ご無事だ。笑顔の柔らかなその人は、お会いすると直ぐに部屋の押入れに手を伸ばした。次から次に籠が出て来た。お願いしていた籠が全て揃っていた。聞けばあれから注文に来た方が何人かいたようだが、全て断っていたと言う。突然訪ねて来て、もう一度来るか分からない者を信じて、「もう一度来るのを待ってたよ。」と話してくれた。そのお気持ちがほんとうに嬉しかった。心からのお礼を伝え、また必ず来ることを約束して車を出した。優しい笑顔でずっと見送ってくれた。

 

「来てくれて、ありがとう、ありがとう。また来てな。」いつもの笑顔だが少し寂しげに見えた。

  

後になりふと気づく、次の注文をお願いしていない。つまり、また来た時に注文をして、その次に取りに来ることになる。まあそれでも良い。

 

このとき引き取った籠は30個近く、これを梱包して発送するのに難儀した。飛行機の時間に間に合うか不安になったが、同行していた息子が朝からタイムスケジュールを書き、梱包も一緒にしてくれたお陰で無事に全てを終えることができた。お礼として近くにあった動物園に短い時間だが連れて行った。ほんとうに頼りになると感心した。

   

   

2016年10月、また訪ねた。あの笑顔の人に会いに。

 

いつものように大きなラジオの音が外まで聞こえてこなかった。戸も締め切られていた。庭の草が伸び、何本か外に出ている竹も朽ちていた。あまり深く考えず、病院にでも行っているのだろうと思う事にした。置手紙を残して、時間を改めてまた来ることにした。

  

やはり少し何か予感したので、すぐにご家族を捜してみたところ会うことができた。10日前に他界されたと聞いた。最も聞きたくない話だった。

  

尾崎さんは、昨年の秋に癌を患い、不自由でも好きな籠作りを続けていたが、今年の春に容態が悪くなり入院された。入院中も好きな籠作りが出来ないことを悔やまれていたそうだ。本来なら夏に3度目の訪問を予定していた。届かないかもしれないが、その旨を書いた手紙も送っていた。予定が難しくなり今となってしまった。10日、たったの10日、間に合わなかった。あの笑顔の人にまた会いたかった。

  

何故か分からないが小屋にもう一度向かっていた。ここへはもう来ないであろう。職人との僅かな思い出が心に浮かんでいた。小屋に、そこで籠を作り暮らした主に、声を掛けた。「尾崎さん、ありがとう。ありがとう。」

  

今回の旅は一人だった。車の中、宿でもずっと涙を流していた。
 
鹿児島の名工、尾崎利一さんが拵える籠は、優しいお心が映るそれはそれは美しい籠。
貴方に分けていただいた籠は大切にします。常世では好きな籠作りを不自由なくされていますでしょうか。 

  

2017年4月12日 | かご籠