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老いて輝く

  

籠作りに尽くし70年余。

手の力は衰えるも、仕事は衰えず。

その籠は益々美しい。

 

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2017年5月24日 | かご籠

 

籠と旅 <秋田 こだしっこ 1>

この地域で籠は「こだし」、籠を編む職人を「こだしっこ」とか「こだしっこや」等と言う。

 

あけびの蔓から、それは美しい「こだし」が生まれる。

 

名工の拵える丸籠をはじめて見たときはたいへん感動したものだ。

このような仕事ができるのはどのような職人だろうかと深い関心を持った。以降、周りの知人にも伝えてまわっていたが、実はすでに名の通った名工であったと後に知る。それが幸いであった、名工と正面から向き合うことができたのであろう。また関係を築く上では有名無名どちらでもよい。

 

名工を訪ねる前、連絡を取る事を幾度と躊躇い月日だけが経ち、一年後、ようやくお会いできた日のことは今でもよく覚えている。それはまたの機会にでも。

 

今日はあけび蔓籠作りの下拵え、その一端をお話したく思う。

 

 

 

写真が三つ葉あけび、小葉が3枚、弾力のある蔓がこだしの材料となる。

 

一つのこだしを拵えるまでには、様々な準備が必要である。

蔓を採取する時期の前には山々を見て回る。雪が溶けた4月ごろに少し採取し、本格的には9月から初雪まで、採取した蔓は生の状態のうちに、蔓に付いている葉や根を取る。屋根上で天日干しを2週間、屋根下で自然乾燥を2ヶ月、蔓がぽきりと折れるまでしっかりと乾燥させる。

 

山に蔓を採取しに行く日、屋根上に蔓を上げていると注意する。蔓が雨に濡れると大事であるため、途中で天候が変わり雨の気配がすると早々に家に戻り蔓を取り込む。蔓を乾燥させる時期はうかうかと遠出ができないわけである。

 

こだしを拵えるその姿は、一見軽快で楽しげであるが、材料にする蔓の下拵えがあってこその仕事、こだしっこも厳しい仕事である。

 

以前、屋根上に乾燥させている蔓の取り込みの様子を拝見するために、名工について屋根に上がったことがあった。高い場所をあまり好む方ではないが、せっかくの機会、長い梯子を奮起して登った。屋根の上ではたいそう足の震えを感じた。後にその事を伝えると、梯子を登る様子が普通ではないと感じていたと話した。名工が私を人に紹介する際、いくつかの話を添えることがあるが、この話もよく出る逸話のひとつである。

 

さて、2016年秋、予てからお願いをしていた蔓の採取に同行した。

 

車のない時代は、自宅から山の麓まで自転車で、山を分け入り採取場所まで歩いた。片道2時間はかかったと言う。20〜30kg程の蔓の束を担いで降りたのは大層であったろう。 採取できる蔓の量は、その年の気候でも変わってくる。おそらく色合いも異なるだろう。地球の環境変化もあってか、採取量は年々減っていると言う。常に新たな場所を見て周り、採取場所の確保にも気を配っている。

 

材料となる蔓は、地面を真っ直ぐに這って伸びているものを使用する。あけびは藪によく見かけるが、木々が密集し過ぎては木に蔓が巻きつくため、同じ藪でも地面はひらけた条件が良いが、木の枝が進行を遮っている場所が多く、その枝を上に下に交わしながら進み、同時に蔓を探しながら中腰で移動する。それを半日続けるのは一苦労である。

 

この日の採取はまずまずであった。

藪の奥に生えていた杉の根元にいくつかのきのこがあったので、山の恵みを食べる分だけ戴いて、山を降りることにした。

 

  

 

下山中、昔は湧き水が湧いていたという場所に案内された、そこが休憩場所でもあったと言う。

 

しばらく降りていくとひらけた場所に出たので、朝、妻の恵美子さんが持たしてくれた弁当を食べることにした。昔の様々な話を聞くことができた。時折静かに風景に目をやった。強い風が木の葉を空高く運んでいた。

 

このひとときもまた格別な時間となった。

 

 

さて、帰り道、この時期は岩魚がいると言う。

 

小川の上流をしばらく見ていると、さっさと下流に歩いて行った。あまりに早かったので、追うことができずその場で待つことにした。しばらくすると、両手を前にして戻ってきた。手には綺麗な岩魚が入っていた。警戒心が強い魚は、何か気配がするとすぐに岩の下に隠れる。岩の下に両手をそっと入れて待っていると、手の上に岩魚が入ってくるので、その瞬間に掴むのだと言う。

 

とても嬉しそうだった。野球少年だった頃、山遊びを自然と覚えた頃、名工の少年時代の面影を垣間見た。

 

 

「今日もありがとうございました。また来ますのでよろしくお願いします。」

蔓を採り終えると、山に声をかける。蔓を採っている時も、「こんな籠になるんだよ。」と蔓に話しかける。

 

自然に感謝し、こだし作りを共にした家族や今を共にする妻に感謝し、籠を使う人に感謝し。

 

 

美しいこだしは、美しい心から生まれ。

 

それは手にとるとたいそう心地良い。

 

人を癒す薬が如し。

 

 

あけび蔓籠の名工、中川原信一氏。

氏と妻 恵美子さんと同じ時代を共にしていることに心から感謝したい。

 
猫ののんちゃんも忘れてはいけない。

 

2017年5月10日 | かご籠

 

「籠」

 

今は昔 その景色

山に暮らし 地と働く

草木は教え 手は作る

それを営み それを繋ぐ

今は昔 この記憶

 

緑豊かな日本では暮らしの知恵から生まれた道具が様々にある。

その中で植物を使い編み組みして作られる「籠」は、

地域により素材や作り方が異なり、用途に応じた種類は実に豊富である。

竹類、山葡萄、胡桃、板屋楓、あけび蔓、葛藤等、日本は素材に恵まれている。

太古より「籠」は人の暮らしに欠かせない道具であった。

それらを手に取ると遠い記憶に触れる瞬間がある。

 

あけび蔓の籠(秋田県)

山葡萄の旅行鞄、沢胡桃の手提げ籠(秋田県)

すず竹の市場籠(岩手県)

篠竹や山桜樹皮等のげし笊(宮城県)

欅の脱衣籠、山胡桃の手提げ籠(新潟県)

真竹のふご(千葉県)

女竹の花籠(千葉県)

根曲り竹の林檎籠(長野県)

淡竹の魚籠(長崎県)

葛藤のつづらかがい、手提げ籠(鹿児島県)

わらびの蓋付き籠(沖縄県)

月桃の籠(沖縄県) 

 

 

日本各地の籠や笊、約100点を展示いたします。

本展に合わせて特別に制作していただいた自然布の角袋、

菜菓子を詰めた菜籠も販売いたします。

 

自然布の角袋:COSMIC WONDER

菜籠:日光土心(籠)/ 冨永幸代(籠)/ 菜食光兎舎(菜菓子)

 

会期:

2017年4月29日(土・祝)- 5月14日(日)

午前11時 - 午後6時

*休館日:5月8日(月)、9日(火)

 

4月29日(土・祝)、30日(日)在廊いたします。

 

会場:

gallery白田

京都府船井郡京丹波町森山田7 [MAP]

電話: 0771-82-1782

2017年4月22日 | かご籠

 

籠と旅 <房総半島>

この地へは何度足を運んだろう。

 

宿はいつも海沿い、夕日が水平線に沈むのを眺められる。車を走らせる道中には、鮮やかな黄色と緑の菜の花畑が広がる。この風景を見ると、またこの地に帰って来たと懐かしく思う。

 

注文をお願いしていた籠を引き取りに、久しぶりに2人の名工を訪ねた。

 

一人目の名工は、真竹で「ふご」という笊を拵える。

丸い形が柔らかな印象だが、縁が太く、何重にもひごを巻いてあるので、しっかりと握って持つことができる。高齢の女性は、この笊の縁を持ち杖代わりにして岩場を移動する。その為、籠の底には太い力骨が渡され早々では壊れないように作られている。各地の道具とも比べ難い、何とも不思議な魅力を感じる。ふごは、はば(はばのり)を採取する際に使われる海の道具である。職人も昔は潮が引いた夜にはばを採りに行ったと言うが、今ではこの地域のはば採取の解禁日は年に2回と決められている。材料の真竹の良し悪しには気を使うが、注意しても時折虫が竹を食うことがある。それを知る現地の使い手はこの笊を一度海水に浸してから使用する。竹に潜む虫は死滅させる方法のひとつだ。竹を切り出すのは虫がつかない時期、さらにある点を見極めて竹を選べば虫がつくことはないが、それを知る職人は今では少ないと以前聞いたことがある。実際私もその見極め方をはじめて耳にした。

 

このふごという笊に惹かれて、何度もこの職人を通ったものだ。今ではこちらの趣味を良く知る関係とまでなった。今回注文しておいた籠を前に「これなら気にいるだろ?」、出来栄えや使用した竹等について話してくれる。それが良いか悪いかは別として、はじめて注文する職人の顔や仕事ぶりを見ることなく、電話等で注文して送ってもらうような籠商人もいるようだが、ものの売り買いでしかないような関係、籠職人とそのように付き合うことは想像し難い。

 

さてこの職人、朝極めて早くから働く。午前3時半には起床し、夜が明ける前から仕事をはじめる。夕方前に訪ねると何をする気配もないことがしばしば続いたので、聞いてみるとそんな時間には仕事は終わっていることが多いと言う。以前は東京で板前として働いていたので、籠職人となったあとも、その習慣から早い時間から働いているのであろう。

 

 

5mm単位から注文を聞く柔軟な職人を頼ってくる依頼は多い。作ったことのない形の籠も暇があれば作ってみる。電話をしては、顔をあわせれば、今どんなものを作っていると教えてくれる。「注文が多くて休んでる暇なんかねえよ。」と話す口ぶりも、何処か嬉しそうに聞こえる。職人との会話の殆どは籠のこと、父から受け継いだその仕事、心から籠作りを愛しているように感じる。話が長くなることは度々、いや毎度のこと、今は一人で暮らすので、話し相手がいてくれると嬉しいと言ってくれたことがあるが、こちらの方こそ嬉しく有難いことである。職人を訪ねる際はできる限り長く滞在できるようにいつも時間をとるようにするが、それでもあっと言う間に時は過ぎ次へ向かう時間となる。外に出て車の前でも話は尽きない。

 

 

「猫が増えるんだ。」

家の主人への警戒心なく家前で寝そべる猫に少し困った表情をみせる。昼頃になると野良猫が集まってくる。買い出しのついでに猫用の餌を飼って与えていると言う。

 

職人を頼ってくるのは、籠の依頼だけではないようだ。

 

 

もう一人の名工へは、そこから車で1時間とかからない。

 

女竹で「背負子」を拵える名工は、今年88歳にして現役である。

その顔つきや体つきからも想像できるが体は丈夫、医者にかかったことはないと言う。夏には袖のない肌着1枚で仕事をしていたのを見かけたことがあるが、堂々たる体つきである。籠作り以外に何かやっていたのかを聞いてみたが、そんなことはない、籠作り一筋である。

 

昔は他の籠も作ったがそれは長くなく、背負子作りを生業としている。背負子は飾り付ける工藝品の類ではない、道具である。この地で職人の籠を購入できるのは日用品店、様々な道具と共にこの背負籠が並んでいるのを見ては少し笑みが出る。正に籠が日用の道具として売られ使われている光景である。籠は民藝店で売るものでなくとも良い。

 

職人の籠はとても力強い。 縁は一周ぐるりを全て巻くことはなく、最小限のひごで止められていて、そこがまた見掛けに良い。必要最低限に作られるものの美しさがこの籠には見られる。花籠等と呼ばれることがあるようだが、この地では農作物の収穫など農具として使われていたことのほうが大半のようである。

1年で作る籠の分をはじめからひごにしておいて、仕事場にしている小屋の天井に吊るしてある。職人の殆どはその日に作る籠の分だけをひごにしているので、この点が職人の仕事の特徴でもある。

 

無口な職人、はじめて訪ねた頃は話もそこそこにその仕事をじっと見ていたものだ。

何度か訪ねるうちに顔を覚えてもらい、休憩がてらお茶とお菓子を一緒に戴きながら話ができるようになった。逞しい職人の表情が一変する時折見せる笑顔がなんとも言えないほど愛くるしい。

 

帰り際、「あと2年やれたらいいかな。」と笑いながら話していた。昔は1日に3個も4個も籠を拵えたというが、歳と共に作る数は少なくなっている。

 

少なくてもいい、どうか長く元気で、籠作りを続けて戴きたいと思う。

 

 

今回お二人にお願いした籠は大物が多く、個数もあったため車で2杯分となった。

どちらも配送してはもらえないので引き取りに行き、それを梱包してから宅配便で送ることにしている。毎回、私の住む関西方面から電車とバスを乗り継ぎ、宿と車も手配する。もっとも手間と費用の掛かる籠である。賢い籠商人であれば、このようなことを続けることはしないであろうが、その価値は夫々である。

 

私の場合、籠の売り買いだけが目的ではないとつくづく思う。

 

2017年4月18日 | かご籠

 

籠と旅 <九州 1>

2015年12月、家族、友人と共に、九州を南から北へと横断し、籠職人を訪ねる旅をした。

 

未だ残るその記憶を書き留めておきたく、この日記を綴ることにした。

 

 

 

この写真は、2016年10月のものだ。

鹿児島の籠職人が作り暮らす小屋。

訪れたのは3度目、これが最後の訪問となった。

  

 

2015年12月、とある企画が急浮上し、全国の籠、暮らしの道具としての籠を集めることになった。この機に九州で会ってみたかった籠職人全員を訪ねることにした。南から北へ九州横断、籠の旅のはじまり。

 

はじめに訪れたのは、鹿児島。

その職人は、電話も手紙も届かない。その場所にいるのかも分からない、行ってみるしかない。この旅でどうしても会いたい職人のひとりだった為、祈る気持ちで車を走らせた。

 

案外とその場所には時間がかからなかった。車を停めて、玄関まで緊張の中、早足で歩を進めた。少し距離のある場所から、小屋の中からの大きなラジオの音が聞こえた。その瞬間、少し安堵した。その職人は小屋にいるであろう。しかし、急な訪問、門前払いであろうことも覚悟しながら、玄関の戸を開いてみた。

 

声を何度か掛けたが、誰も出ては来ないので、ラジオの音のする部屋の戸もゆっくり開けてみた。少し驚いたような表情で、家の主がこちらに出てきた。門前払いの心配は何処に、それは優しい声の持ち主、なんとも柔らかな人であった。

 

真竹籠の名工、尾崎利一さんにお会いすることができた。

 

自宅兼仕事場とする小屋には一人で暮らしている。もしかすると人と話すことがあまりないのか、はじめは浮かない表情だったが次第に柔らかな笑顔をみせた。  崖を挟んで隣のゴルフ場から時折ボールが飛んできて、屋根に穴を開けるのだという。「ボールが飛んできて、屋根をダメにしてしまうの。」家の主人からすればたいへんな事だが、優しい声のその話に何故か笑みが出てしまった。

  

籠作りは、小屋の裏側にある小さな土地で行っている。崖を背にしたその場所は、何か神聖な場に思えた。

 

このときすでに甲状腺の癌を患っており、抗癌剤を投薬しながら暮らしていた。薬の影響で手が痺れて思うように籠が作れなくなり、それだけが悔しいと話した。 籠作りへの純粋な心、籠作りへの愛情をみた瞬間でもあった。手は不自由だが、まだ籠は現役で作れるのだという。それを聞いて早速幾つか籠をお願いしてみたところ、快く引き受けてくださった。荷物を発送する事は出来ないので、翌年の春にもう一度来る旨を伝えた。商売を考えれば高額な旅費を2度使って来るような事はしないだろう。それでも良かった。この素晴らしい人の仕事を見たい、そしてこれを機に関係を築きたかった。

 

旅に同行した当日5歳の息子は、尾崎さんは一番好きな籠職人と後に話した。

 

さて翌年の春、約束の頃になったので再び鹿児島に向かった。今回はスケジュールに余裕がなく、尾崎さんに会うだけとした。

 

道中少し不安もあった。名の知れた名工、不便な場所であっても引き合いは多いだろうから、注文はまだ出来ていないと言われることも覚悟した。それ以上に元気にされているかの心配があった。勿論、事前に確認する電話は出来ない。

 

無事に尾崎さんの暮らす小屋に着いた。車から玄関まで、前回と同じような緊張感があったが、直ぐに同じようにあのラジオの音が聞こえた。ご無事だ。笑顔の柔らかなその人は、お会いすると直ぐに部屋の押入れに手を伸ばした。次から次に籠が出て来た。お願いしていた籠が全て揃っていた。聞けばあれから注文に来た方が何人かいたようだが、全て断っていたと言う。突然訪ねて来て、もう一度来るか分からない者を信じて、「もう一度来るのを待ってたよ。」と話してくれた。そのお気持ちがほんとうに嬉しかった。心からのお礼を伝え、また必ず来ることを約束して車を出した。優しい笑顔でずっと見送ってくれた。

 

「来てくれて、ありがとう、ありがとう。また来てな。」いつもの笑顔だが少し寂しげに見えた。

  

後になりふと気づく、次の注文をお願いしていない。つまり、また来た時に注文をして、その次に取りに来ることになる。まあそれでも良い。

 

このとき引き取った籠は30個近く、これを梱包して発送するのに難儀した。飛行機の時間に間に合うか不安になったが、同行していた息子が朝からタイムスケジュールを書き、梱包も一緒にしてくれたお陰で無事に全てを終えることができた。お礼として近くにあった動物園に短い時間だが連れて行った。ほんとうに頼りになると感心した。

   

   

2016年10月、また訪ねた。あの笑顔の人に会いに。

 

いつものように大きなラジオの音が外まで聞こえてこなかった。戸も締め切られていた。庭の草が伸び、何本か外に出ている竹も朽ちていた。あまり深く考えず、病院にでも行っているのだろうと思う事にした。置手紙を残して、時間を改めてまた来ることにした。

  

やはり少し何か予感したので、すぐにご家族を捜してみたところ会うことができた。10日前に他界されたと聞いた。最も聞きたくない話だった。

  

尾崎さんは、昨年の秋に癌を患い、不自由でも好きな籠作りを続けていたが、今年の春に容態が悪くなり入院された。入院中も好きな籠作りが出来ないことを悔やまれていたそうだ。本来なら夏に3度目の訪問を予定していた。届かないかもしれないが、その旨を書いた手紙も送っていた。予定が難しくなり今となってしまった。10日、たったの10日、間に合わなかった。あの笑顔の人にまた会いたかった。

  

何故か分からないが小屋にもう一度向かっていた。ここへはもう来ないであろう。職人との僅かな思い出が心に浮かんでいた。小屋に、そこで籠を作り暮らした主に、声を掛けた。「尾崎さん、ありがとう。ありがとう。」

  

今回の旅は一人だった。車の中、宿でもずっと涙を流していた。
 
鹿児島の名工、尾崎利一さんが拵える籠は、優しいお心が映るそれはそれは美しい籠。
貴方に分けていただいた籠は大切にします。常世では好きな籠作りを不自由なくされていますでしょうか。 

  

2017年4月12日 | かご籠

 

籠の記憶

日本列島は約6割が森林である。

南北に長い島国は複雑な地形や地層をしており、

北と南での温度差が大きく、そして四季がある。

そこには6000種類以上と言われる多種多様な植物が生息する。

 

緑豊かな日本では暮らしの知恵から生まれた道具が様々にある。

その中で植物を使い編み組みして作られる民具、それらを称してここでは「籠」と呼ぶが、

地域により素材や作り方が異なり、用途に応じた種類は実に豊富である。

竹類、山葡萄、胡桃、板屋楓、あけび蔓、葛藤等、日本は素材に恵まれている。

 

縄文時代の遺物から「籠」は出土されている。

その頃より、網代模様編み、透かし編み、六ツ目編み等の編み方がすでにあった痕跡がある。

「籠」は人の暮らしに欠かせない道具であった。

 

人工素材を使った道具が大量に普及しはじめた頃、多くの職人が廃業した。

今僅かに残る職人も高齢化により、日本の「籠」は年々減少の一途を辿っている。

時代は2000年を越え、20世紀に憧れていた近未来から、

思いは原始へと還っているように思う。真に豊かであっただろうあの時代に。

 

土=地球から生え出し、空=宇宙に向かう竹、

何かを受信し伝達するための交信器のように見える。

 

「籠」は、太古の景色を覚えているのだろうか。

それら手に取ると、遠い記憶に触れる瞬間がある。

 

2017年1月28日 | かご籠

 

籠の道

 

日本の籠について何処まで知り得たであろう。

 

各地の職人を訪ね、教えを乞い、

僅かな知識を得たことは事実であるが、

この程度の仕事ぶりで良いのか自問する。

 

日本の籠を未来に残すために労している等、

大それた事を表することは毛頭ない。

籠そして職人にただただ心惹かれ、

美しい仕事と人を知る喜び、それだけである。

 

しかしながら、少なかれそれを仕事としている。

産地を訪ねる、仕事を見る、話を聞く、文献で調べる。

この程度の仕事ぶり、誰にでも出来るものである。

 

情熱を主として歩んできた道。

一段落したと思い振り返ると、

未だ何も得ていない事に愕然とする。

 

竹の事、植物の事、籠や産地の歴史、

知る事はそれだけではあるまい。

そして、作り手のみ知り得る手の感覚、素材との会話。

幾ら知識を深めたとて、これらを感ずる事はできまい。

その先を進むのであれば、自ら手を動かす必要もあろう。

 

先は長い。おそらくこの生涯では道の終着点に届くまい。

 

山の一号目にも達していない。

その麓に、軽装で近づいたに過ぎない。

2017年1月27日 | かご籠

 

格別な仕事

 

素材を識る。編み方を識る。

 

豊富な経験と知識から成る揺るぎない仕事、

日本の編み子の中でも特別な存在である。

 

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2017年1月25日 | かご籠

 

繋いでいく

 

大雑把に見える籠と、几帳面に見える籠、

どちらが熟練の仕事に見えるだろうか。

 

一方の作り手から、もう一方の作り手へ、

世代交代が行われようとしている。

 

日本の籠が消え続けているのは確かである。

仕組みを作り残せる籠もあれば、そうでない籠もある。

後者は儚いが、美しさ、心の動く美しさがある。

前者は果たしてどうだろうか。

 

「かご籠」が求める籠は、心に触れる美しい籠。

歴史が長いか、伝統工芸であるかは重要とせず、

真に美しいものであるかどうか。

  

この異なる沢胡桃の籠は、何れも美しい。

 

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2017年1月17日 | かご籠

 

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